こんにちは、SHIN(シン)です。
バイオ系が専門で、博士号を持っています。現在、在米5年目で研究職です。
このサイトでは科学と技術に関する情報をみなさんと共有することで、世の中に流布する大量の情報に対して自分で判断し行動できるようになるキッカケになれば、と思っています。一言で表せば、情報リテラシーを向上させよう、ということです。今回からは、科学をどの様に学んだり実践すれば良いか、について書いていきます。
それでは一緒に考えていきましょう。
基本に立ち返る
これまではコロナウイルスに関する世の中の情報が余りに偏っていてモヤモヤしたものがあって、これに絞ってあれこれと書いてきました。今後も新しい情報が入り次第更新する予定です。現状、日本ではBCG接種群は自粛も何もする必要なし、という結論は変わっておりません。現在米国では未だ解除宣言するには至っていませんが、日本ではほぼ収束ということで、一旦ここで止めておきます。今後は大手メディア等で誰が最初から的を得たことを言っていたか、を検証する必要があるだろうと思っています。更には、米国の陰謀論等もう少し考えるべき余地のあるものが残されていますが、これは情報が更に集まってから日を改めて書いて見たいと思います。
さて、今後はバイオ系の基本に立ち返って、分子生物学を学びたい或いは学び直そうという人に向けて記事を書いていこうと思います。自分だったらこういうことを予め教えておいてくれればあれこれ迷う必要なかったのに、ということを基準に書いていきます。周りくどいですが、勉強を始める前の考え方から先に書きます。また、今ある教科書等に書いてあることとは違うことや反対のことを述べるかもしれませんが、それも含めて自分で考えたり判断する部分なので、各自が別の資料に当たって自分なりの考えを構築してもらえればと思います。或いは、このプロローグで述べる考え方が身につけば、以降の中身の部分は不要とさえ言えます。後は自分で考えて勉強なり実践なりすれば良いからです。それくらいに以下のメタ思考の部分は大切です。
何か足りていないものはないか、を念頭に置く(メタ思考の部分)
ここでは、何か足りていないものはないかを考える、ということを軸にあれこれ書いていきます。研究なり勉強なりを始める以前の部分に関してです。メタ思考という言葉でご存知の方も多いでしょう。様々な本や他の媒体でこのことの重要性については散々述べられているので、既にできている人には不要な部分です。これが無いと何が困るのかというと、現時点で手に入るデータや方法、理論で全て説明しようとしてしまう、という弊害が起きる可能性があることです。元々この、足りていないものはないか?というメタ思考がなかった私は自分なりの考え方を会得するのに随分遠回りをしてしまいました。もっと言えば、若かりし日の自分はその時にある技術なり方法なりを理解して使いこなせば科学における未知の事柄を解き明かせるのだろう、と素朴に考えていました。というより、そういう考え方しか持っていませんでした。しかし、実際は全く違いました。私が経験してきたのは、今ある技術で問題を解決しようとして途中でそれでは解けないことに何度も気づかされたことです。そして、まずは必要な技術を作るところまで一旦戻ってそこから再出発しなければなりませんでした。これを書いている現在も似た様な問題を抱えています。例えば過去に、DNAのみの混合物の中から環状DNAだけを取り出す方法を開発しないと前へ進めない、といった経験があります(言葉の意味は分からなくても大丈夫です)。余談ですが、実は未だにこの技術は達成されてはおらず、小さな技術的ブレークスルーを生むのではないか、と個人的には思っています。誰かアイデアを買ってくれる人はいないものでしょうか。また、どうすればこれが達成されるか、を考えるのは良い頭の体操になると思います。腕に自信のある方は是非挑戦してみてください。
そもそも、が大事
というわけで、何か問題に取り組む時に、そもそも今ある技術や方法でそれが解けるのか、を考えることが非常に重要だ、ということです。これは、頑張れば解ける、とかそういった精神論ではダメな部分です。そうではなく、現在の方法で測定可能な範囲内か、や誤差がどれくらい生じるか、を念頭に置かないと失敗する確率が非常に高いということです。例えば今あなたが大学等の研究室に新たに配属されたとして、何か研究課題を与えられたとします。その課題が現時点では解けない問題であった場合、偉い人から言われたというだけで真面目に取り組むと、永遠に答えに辿りつかないことになります。学生であれば卒論などが書けないことになるわけです。ここで難しいのは、設定した仮説に必ずしも誤りがあるとは言えない、ということです。そうではなくて、その仮説がどれだけ正しかろうとも現状ではその答えは出せない可能性がある、ということです。例えば、16世紀にニュートンの導き出した力学の結果から、どれだけのエネルギーがあれば宇宙に行けるか、は既に計算で求まっていました。しかし、今から約350年前にはロケットを作る技術はどこにもありません。どれだけ理論が正しくても、それを実証する術がなかったのです。なので、一概に仮説が正しくないとは言えないのですが、現時点で解けるかどうか、には気を配る必要があります。いくら仮説が正しくとも、技術水準が足りなければYesともNoとも言えない結果しか得られません。このあたりの課題に対する距離感とでも言うべき感覚を身に付けるのは正直難しいところがあるのは事実です。しかも、目上の人間から言われたらなかなか批判的になれないところがあるのは否めないところでしょう。更に、相手は(それが出来ると信じて)好意的にそれを勧めて来るわけなので始末が悪い。しかし、これは経験上確実に言えることですが、殆どの場合与えられた課題が測定可能な範囲かどうかが事前に検討されていることはありません。非常に有能な上司に限り、ギリギリ達成可能な課題を訓練の為に部下に与える、という場合が考えられますが、これは例外中の例外です。未知のことに挑むのだから問題が解けるかどうか分からないのは当然だろう、という意見もあるでしょうが、私が言っているのはそれとは少し意味が違います。
今回は短めにこの辺で。次回は登山に例えて未知に挑むことを述べてみます。
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