そもそも、という名のメタ思考

Climbing with a partner Critical thinking

こんにちは、SHIN(シン)です。

バイオ系が専門で、博士号を持っています。現在、在米5年目で研究職です。

このサイトでは科学と技術に関する情報をみなさんと共有することで、世の中に流布する大量の情報に対して自分で判断し行動できるようになるキッカケになれば、と思っています。一言で表せば、情報リテラシーを向上させよう、ということです。

前回からの続きで、メタ思考について例え話を交えながら述べていきます。

 

登山に例えてみる

ここで与えられる課題を登山に例えてみます。あなたは登山初心者だとします。これから登山経験者と共に山に登ります。登山経験者は過去に幾つかの山への登頂に成功したことがあります。彼は最高峰と名高い山へ登ったこともあるかもしれません。そこで先ず経験者が次に登る山を決めます。山にはその種類と高さがありますが、その登山ルートはまだどれも未確定です。そこで、彼は次に登る山を選定します。場合によっては登山ルートの選定も行います。彼は登山に必要な一式の道具を揃えており、その使い方にも習熟しています。そこで、地上で或る程度訓練をした上で彼と共に登山を開始することになります。さて、このやり方で初心者の皆が伴走者と共に無事頂上までたどり着ければ良いのですが、事はそう簡単ではありません。実際は皆が皆頂上へ辿り着けるわけではなく、むしろ辿り着ける人間の方が少数です。何故こんな的外れなことが起きるのでしょうか。実は登山経験があることと、これから登る山が登頂可能かは全く別のことなのです。ここに大きな間違いがあります。どんなに低い山とはいえ、誰も登ったことのない山へ登るわけですから、どこにその落とし穴があるのかは誰も知りません。そして、実際多くの場合に未知の落とし穴にはまったまま抜けられなくなったり、途中で道に迷ったりして頂上まで辿り着けないことが起きます。遭難する、ということです。その経験者が過去にヒマラヤ級の山に登頂経験があったとしても、一見難易度が低そうな3000m級の未知の山に登れば遭難する可能性だってあります。最悪命を落とすことだってあり得るでしょう。見通しの立つ人なら、これから登る山のおよその高さや寒さを見積もって、防寒具はこの温度以下でも耐えられるものが必要だろう、とか遭難しない為に少なくとも最低限の道具はこれくらい必要だろう、とか事前に準備したりするはずです。以前に山に登ったことがあるから、と慢心して今までの装備で充分、と高を括ると痛い目に遭うことになるわけです。

既にお分かりだとは思いますが、念のために説明を加えておくと、登山経験者はラボの上司や指導者。山の高さと種類は、どの分野であるか、その難易度はどれくらいか。また、一式の道具は、実験器具や方法。遭難、は課題の中止、俗にいうお蔵入り。と言った感じで読み換えていただければと思います。既に経験をお持ちの方なら、あ、あのことだな、と思い当たる節もあるのではないでしょうか。地上では実際に遭難することはないので、仕事がうまく進まないと、お前のやり方が悪い、とか的外れな理由で怒られたりすることになります。本当は指示を出した人間の見通しが見当違いなのにも関わらず、です。

 また別の場合、これまでに誰かが登った同じ山に同じルートで登る場合もあります。そして、ここでも遭難が起きることがあります。実は、このルートでの登頂に成功していなかったことが判明するわけです。研究の言葉に置き換えると、追試を行ったところ再現性がなかった、という意味です。この話題については別の機会に他で述べます。

成績優秀でもパッとしない人 研究遂行能力には差がないのに

さて、話を研究に戻しましょう。私の経験上、殆どの人で研究遂行能力には大差ありません。機械化できない実験では職人技の様な腕を持った人がいるのも事実ですが、そういう技術にだけ頼ってデータを出しているわけではありません。どうも大きな差がつくのは、見通しを立てる部分の様です。目標までの距離感、ゴールの設定の仕方、問題発見力、進むべき方向性、とどういう言い方をしても良いのですが、この課題に取り組む前の前提部分が弱い人がかなり多いのです。そういう人を本当に数多く見てきました。理由は多分単純です。詰め込み式の優等生教育に慣れた人が研究者にも多いせいです。というより、元優等生が大半、と言った方が正確かもしれません。学校教育では、目標の設定や枠組みは予め自分以外の誰かから与えられるものであり、基本的に自らが行うものではありません。誰か、とは多くの場合教科書であり先生です。理論的に完成された世界に関する理解力を高めることが教育の目的だからです。そうすると、問題を解く能力は伸ばせますが、問題を設定する能力はいつまで経っても未熟なままです。これは研究遂行能力には差がない、ということにも通じます。つまり、これが問題を解くのと同じで訓練によって伸ばせる部分だからです。この構造は近代的な教育が始まって以降(或いは科挙の時代から??)ずっと同じ構造で、正解が決まっている詰め込み式の教育では問題の設定自体は自分では行いません。これが未知のものを想定する訓練を妨げます。詰め込み式教育の全てが悪いとは思っていませんが、その前の準備段階(メタ思考)の部分に関して色々と教えてもらいたかったな、というのが正直なところです。何が足りていないかを想定するのなんて常識だ、という認識のある人にとっては当たり前のことなのだとは思いますが、私は出来が悪かったのでこういう考え方に至るまでに本当に紆余曲折しました。成績優秀で有名大学を出たのに社会人になったらパッとしない、という人は多分こういう問題解決能力だけが高い人のことを指すのでしょう。

アウトプット(仕事の質)= 問題設定 X 問題解決

実社会では当然課題を設定するのも仕事のうちなので、ここの部分が弱いと全体のアウトプットとしては貧弱なものになってしまいます。アウトプット(仕事の質)= 問題設定 X 問題解決という単純な式で表すと、設定の項がゼロに近いと解決の項をいくら大きくしてもアウトプットは小さいまま、仕事の質は低いままとなります。問題設定を最初は上司から与えられていたら解決部分を頑張れば結果を出せますが、いざ自分が上司になった時に問題設定ができなくなるので、うだつの上がらない上司に早変わりするわけです。自分がガムシャラに頑張って結果を出してきたのだから、お前もとにかく働け、という上司のもとで出す仕事の質が大概低いのは、その前提部分が弱かったり間違っているからです。当時その上司が結果を出せたのは、頑張ったからというよりは頑張れる前提を与えてくれた上司の上司がいたからなのです。本人は例えばPDCAサイクルをガンガン回したからだと思っていても、実はそのサイクルを回す前提を与えてくれた人がいたからこそ結果が出せたのです。そして、残念なことに本人はそのことに自覚がないことが殆どです。仕事は自分で作るもの、という言葉とも相通ずる部分だと思います。学校ではパッとしなくても社会に出たら華が咲く人がいるのは、それまで秘められていた問題発見能力が発揮された場合が多いのだろうと推察しています。この場合、先生の言うことをあまり聞かなかった、と言う人が多いはずです。何故なら、その人が問題設定(仮説)自体に疑問を投げかける能力を持っているからです。上にも述べた様に、そもそもそれおかしくないか、と疑う能力のことです。英語だとCritical Thinking(批判的思考)に該当します。Skeptical(懐疑的)という言葉もこの文脈では同じ意味で使えます。

(これは余談ですが、上司に選ぶなら登山やそれに似たような状況を考える必要があることを趣味にする人だと案外仕事が捗るかもしれません。危機感を持っている、というのも共通する大事な要素なのだと思われます。敢えて危険なことに挑むのは不測の事態を予期する力を養う訓練を趣味の中で行っていると見ることもできますね。逆に、仕事も趣味も安全運転、という人は失敗はしませんが、大きなことに挑む勇気を持つことも難しいだろう、と勝手に思ってしまいます。)

人間も枠組みも老化します

と言うわけで、現役の研究者でも課題の設定に関する能力が低い人が大勢います。そして、そういう人達の仕事の質は年を経る毎に落ちていきます。何故なら、以前と同じ方法で問題に取り組むからです。というか、それしかしたことがない、という方が実際に近いです。あなたが今から一緒に仕事をする人が以前に成功体験をしているとして、その人が今も同じ方法に固執している場合は非常に問題が大きいです。同じ枠組みの中で仕事をし続ければ自然と発見できるものの数は落ちていきますし、仮に何か発見したとしても前のものより印象が薄くなりがちです。考え方も古ければ、技術水準も低いままなことが多いのです。昔取った杵柄で通用するのは、昔なら30年くらいはあったかもしれません。つまり、その効用が切れる頃には研究者は引退の歳だったのです。そこから、時代は下って、その通用する年数が15105年とどんどん短くなっている様に感じています。理由は単純で、インターネットの発達です。知識や技術は陳腐化しやすいので、常に刷新する必要があるということです。。株の世界で「知ったら仕舞い」という言葉がありますが、研究の世界でもほぼ同じことが当てはまります。今は発展途上国含めて知識や技術水準に大きな差はありません。特に、分子生物学の様に大きな装置(例:物理分野での加速器やロケット)をあまり必要としない分野では尚更です。国際協力事業ともなれば、途上国の研究室にある機械の方が最新であることも珍しくありません。因みに、世界最先端の研究環境と思われている米国の研究室の機械はボロボロなことが多いです。現代は知識や道具で差がつかない時代になったと言って良いと思います。そこで差を生むのはやはり問題を発見する力だとは思いませんか。

 

次回は、そもそも問題を発見する力を付けるにはどうすれば良いかについて述べます。

 

本日の推薦図書(一見関係ない様にも思えるでしょうが、そもそも、を鍛えるのに適した本の一つです。次回の内容にもつながってきます。)

 

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